12月8日 (金)  136号

 長野士郎氏が12月5日午前、逝去されました。このところ調子が悪いとお聞きしていましたが、突然の訃報でびっくりしました。満89歳、自治事務次官を経て、知事在職6期24年、全国知事会長も務め、全力疾走の人生で、さぞお疲れになったことと存じます。
 私は、旧自治省に入る直前から、同郷、同窓の先輩として知り合い、以降私的なことを含め、格別のご指導、ご厚誼を頂きました。とくに、岡山県庁に2度出向、1回目は加藤知事時代に総務部次長兼財政課長として赴任、1年後長野知事に変わり、県庁始まって以来最年少の38歳で企画部長にして頂き、2回目は最初から副知事としてお仕えしました。吉備高原都市、瀬戸大橋、新岡山空港という3大プロジェクトを強いリーダーシップで推進され、私はそれのスタート時を担当部長として支え、副知事の時はその最終段階を見守るという廻り合わせとなりました。今なら当然ですが、知事就任とともに唱えられた「人間尊重、福祉優先」のスローガンは斬新で反響をよび、県土保全条例、地方振興局などはその後の全国のモデルとなりました。
チボリ公園、苫田ダムなど、積極投資とその手法については評価が分かれるところでしょうが、知事として多くの業績を残され、岡山県発展の基盤を整えられたことは内外の等しく認めるところです。謹んでご冥福をお祈り致します。