Diary 2007. 9
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9月1日 (土)  第197号

 7月29日の参議院選挙は、平成元年の選挙と並ぶ自民党にとって歴史的な大敗になり、私も不覚をとりました。選挙戦後半から状況は日ごとに悪くなり、政権や自民党に対する有権者の不快感が嫌悪感に変っていく様を実感しました。それでもという思いはありましたが、私が相手陣営にとって敵の大将であってその総攻撃を受けた上に、一部メディアのやや偏った報道も加わり、防ぎ切れず投票日を迎えました。選挙はどんな結果になろうが、本人にすべて帰するもので、敗戦の弁で私はこの結果は全く本人の不明、不徳によるものであることを述べ、政権も自民党もこの民意を尊重し、反省すべきは反省し、改めるべきは改めなければ今後生き残れないことを付け加えた次第です。
 安倍総理もこの選挙の総括を教訓に、8月27日の内閣改造、党役員人事を行い支持率上昇につなげましたが、問題はその成果です。


9月4日 (火)  198号

自民党は、7月29日の参議院選挙の歴史的な大敗の後、8月1日、この選挙の「総括委員会」を立上げ、諸々の調査、検討、審議の後、8月23日、「敗因の分析と今後の課題」と題する、報告書を取りまとめました。多くの関係者が、委員会によばれたようですが、私は元執行部ですから直接参加することは控えました。報告書はよくまとまっていると思いますし、メディアや世論の評価も好意的でした。
報告書によれば、今回の選挙の特徴は、@内閣と党に対する支持率の急落の中で行われましたが、度重なる閣僚の不祥事による内閣不支持率が50%を超え、党に対する支持も、民主党より低くなったこと、A自民党支持者のうち、自民党に投票し
たものは60%程度で、民主党へ25%が流出していること、味方の票が相手側になるので、これは2倍の効果になります、B無党派層の約50%が民主党に投票し、自民党に投票したのは約15%にとどまりましたが、これも自民党へ3分の1位は来ない
と対抗できません、C近年、自民党は女性の支持率が常にトップの状況でしたが、今回これも負け、男性は大きな差がついたこと――を上げていますが、選挙を戦った1人として、おおむねうなづけます。
 また、投票日が国会の会期延長で1週間延びたことも、結果論かも知れませんが、よくなかったような気がします。


9月9日 (日)  199号

前回で述べた総括委員会の報告書は、敗因の分析を次のとおりとしていますが、これもほぼ納得できるものですから、要約し紹介します。
 敗北の直接の要因は「年金記録漏れ問題」、「政治とカネの問題」、「閣僚の失言等不祥事」の逆風3点セットであり、これが重なり合って続出し、累積効果を持って大逆風となったのはその通りで、赤城農水相のバンソウコウは政権のイメージダウンのダメ押しとなりました。安倍総理に対しても国民の側でなく永田町の側に立っているイメージがあり、国民から指導力・統治能力に疑問を呈されたのではないか、また、政府与党の政策の優先順位も結果として民意とズレていたのではないかと指摘されています。その他、一昨年の衆議院選大勝の反動とその後の強引と見える国会運営、構造改革の痛みの先にある将来展望を提示できないまま景気回復の遅れや地方財政の困窮等から「地方の反乱」が起ったこと、既存の党支持基盤が構造改革の進展や平成の大合併により弱体化し、統一地方選による選挙疲れや党の退潮傾向がそれに拍車をかけたとしています。
一方、民主党は一人区・地方重視の戦略をとり、バラマキ的な政策を打ち出して地方の不安・不満の受け皿となり、結果的に自民党の伝統的な支持基盤を侵食して勝利に結びつけたとの分析ですが、妥当な見方でしょう。


9月12日 (水)  200号

参議院選挙について (その3)

参議院選挙の総括委員会報告はこれを最後としますが、一番大切なのは、言うまでもなく「今後の課題」への認識でしょう。ポイントは「民意」の把握です。
「国民生活の現実に立ち返り、国民の切実な要望や声なき声に心耳を澄まし、これに誠実に応えて国の進むべき方向を示す」という原点に立ち返るべきで、政府与党と民意にソゴがあれば、政府与党の方こそ反省し、変わってソゴをなくさなければ生き残れないないというのが私の持論です。
内閣は国民本位の政策実現能力と清廉で透明性のあるものにすべきだとし、安倍総理には国民の目線に沿った政権運営と、官邸・内閣の危機管理能力の強化を求めていますが、これもその通りで、内閣改造ではその点総理は、相当の配慮を示しました。
また、構造改革は続けるとしても、地方や弱者の抱えている痛みを解消するための将来展望を具体的に示す一方、中小企業等にも目配りした「より厚みのある構造改革」を提案しています。今回の選挙で、衆参両院はねじれ現象となりましたが、与野党間・両院間ではねばり強い対話と調整が続けられなければならないとしても、国会審議においては「協調」と「主張」を各党とも明確にしていかなければならない難しさがあります。その他、わが党に新たな活動モデルの構築、広報戦略の明確化、候補者や後援会組織のあり方についても徹底した検討を求めていますが、同感です。


9月15日 (土)  201号

 9月12日(水)、私は某新聞社主催の帝国ホテルでの昼食会で、「大敗自民党の再生」という大変なテーマの講演を頼まれ、50分程話した1時10分頃、「安倍総理が辞意表明し、衆議院本会議の代表質問はとりやめになった」というメモが入りました。全く予想外のことで、私はビックリ仰天、それが中継中のテレビに映され、会も以降は騒然となり、早目に終わりました。
 すでにテレビ・ラジオ等で私なりの感想を申し上げて来ましたが、大方の指摘のように、何故最悪のこのタイミングでの辞意表明なのか、本当のことはよく判りません。参議院選挙後の続投表明、日時をかけての内閣改造、APECの出席、そこでの「職を賭す」発言、臨時国会召集、所信表明での決意と安倍総理の強い意向で進められて来た筈だから、それに対する衆参の代表質問は当然行われるものと誰もが考えていました。しかも、辞意表明が本会議の代表質問が始まる直前ですから、非常識と言われてもやむを得ないでしょう。総理は、翌13日(木)午前、検査入院しましたが、心身ともに疲れ切っていることは、最近の顔色、やつれた、ゆとりのない感じからして、十分にうかがわれました。それなら何故、周囲が体調不良として、辞意表明でなく、まず入院させなかったのか、疑問です。
ポスト安倍は福田対麻生の一騎打ちの様相です。


9月19日 (水)  202号

総裁選の街頭演説

 自民党総裁選は予想通り、福田康夫氏と麻生太郎氏の一騎打ちとなって、始まりました。東京での立会演説会や街頭演説の後、9月17日(月)には、地方での初めての街頭演説が大阪市と高松市で行われました。聴衆は、大阪市が約5千人、高松市が約4千人ですから大盛況で、その様子がTVで放映されました。

 福田氏の話しぶりは、落ち着いていて安定感があり、麻生氏は、地元ネタを入れながら面白く、お二人ともそれぞれの持ち味を出しての演説でしたが、とくに都市と地方の格差拡大については、福田氏は、「格差が目立ち過ぎると弊害だ。そういうことは直して行かなければならない。」と格差是正に意欲を示し、麻生氏は「地域を活性化するには、分権しなければいけない。そうするには、政治のリーダーシップが必要だ。」と地方分権の必要性を訴えました。

 街頭で、このように党員のみでなく、広く国民にその主張を訴え、生の反応や意向に触れながら、お互い論争を高め、党再生の方途を探って行くことは、まことに結構なことだと考えます。お二人の政策に余り差がない感じがしますが、今後具体的な提言を含めて、その相違点を明らかにしながら、活発な論戦が行われることを期待しま
す。


9月23日 (日)  203号

自民党新総裁決まる

 自民党総裁選は、9月23日(日)午後2時から党本部で、528票の投票が行われ、有効投票527票は、福田康夫330票、麻生太郎197票で、福田氏を第22代新総裁に選出しました。今回の総裁選は、安倍総理が辞意表明した9月12日と翌13日までは麻生幹事長が本命視されましたが、13日夜から14日にかけて福田元官房長官の出馬が伝わると、党内各派閥が雪崩をうって福田氏支持を決め、大勢が決まりました。しかし、投票結果では麻生氏が善戦しました。
 私は投票当日の9月23日、10時からテレ朝の「サンデープロジェクト」に出演、まず田原総一朗さんと福田・麻生両氏の討論を聞いた後、田原さんと二人で25分間たっぷりと政局論議をしました。二人についても、福田氏は健全な常識人で、バランス感覚と柔軟性があり、官房長官として判断もフェアで安定感があったこと、語り口もひょうひょうとして巧まざるユーモアの持主、私とは森、小泉内閣と、ともに閣僚として3年近く一緒だったことを話しました。麻生氏は面白いキャラクターで、異端児風ですけれども考え方は正統派であり、新しいことやマンガ大好き、経済、ITにも強いこと、怖めず臆せず正論を吐くところは頼もしく、私の次の総務大臣であったことも申し上げました。


9月27日 (木)  204号

福田内閣の発足

 9月25日(火)午前、国会で首班指名選挙が行われ、衆参ねじれの指名となりましたが、憲法の規定により衆議院の指名が優先、福田康夫氏が内閣総理大臣となり、福田新内閣が発足しました。新内閣と言うものの、新入閣は渡海氏1人、再入閣は石破氏、13人が再任、超小幅な内閣の組替えで、臨時国会中でもあり手堅さ、無難さを第一にした組閣と評されています。
 私は、当日夕方出演したTVのニュース番組でこの内閣を一言で言えと促され、「居抜き・政策実行内閣」としました。8月27日行われた安倍改造内閣を、ちょっと甘いかなと思いながらも「政策実行内閣」と言いましたので(安倍総理自身も私と同じく改造内閣を「政策実行内閣」と言ったことを申し添えます。)、殆んど同じ顔ぶれである以上それを変えるのもおかしく、「居抜き」に近いことも確かなので、「居抜き・政策実行内閣」とした次第です。10月1日から国会での本格的論戦が始まります。新内閣がこの論戦にしっかり応えながら、国民の望む政策をしっかりと実行してくれることを期待したいものです。


9月30日 (日)  205号

地方自治と私

9月26日(水)は、午後帰岡し、月2回水曜日、夜の6時半から始まる「おかやま適塾」の後半部分、「私の主張」というコーナーに出て、50分間「地方自治と私」について講演しました。思ったより聴衆も多数でした。幕末に有名だった緒方洪庵の適塾を模して、岡山でこれを主宰している馬場さんとも歓談しました。
今年は、地方自治法施行60周年に当たり、11月には記念式典も計画されるなど、節目の年です。この60年間、地方自治も大きな変貌をとげて来ましたが、私も地方自治に約50年間関って来、それなりの役割を果たしたと自負しています。私は、昭和33年4月、東大法学部を出て、当時の自治庁に入りましたが、自治庁は昭和35年7月に自治省に昇格、平成13年1月に、郵政省及び総務庁と合併して、総務省となりました。私は、奇しくも、最後の自治大臣を1ヶ月と、最初(初代)の総務大臣を2年9ヶ月やることになりました。「平成の大合併」「三位一体の改革」「住基ネットワーク制度」「広域消防システム」など、約3年の大臣任期間中私が提案し、推進したものです。評価は色々ですが、地方分権推進のあるべき方向では間違ってなかったと信じています。これから3年をメドに第二ステージの地方分権改革が始まります。地方自治は私のライフワークですから、私もぜひ参加したいと考えています。


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